NHKの連続テレビ小説「わろてんか」
破天荒な生き方の落語家として登場した月の井団吾(つきのい だんご)
ドラマでは波岡一喜(なみおかかずき)さんが演じています。

赤い人力車で寄席と寄席の間を移動、
お札をばら撒くなど破天荒な生き方としてドラマで映っていますが、
その人物に実在のモデルがいたのか気になりますね。

出典:https://www.instagram.com/kazuki_namioka/

今回はその団吾(だんご)師匠のモデルを調べてみました。

目次

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モデルは桂 春団治(かつら はるだんじ)さん

調べたところ、実際のモデルと思われる人物がいました。
その人は「桂 春団治(かつら はるだんじ)」さんという落語家です。
正確には「初代 桂春団治」。

戦前の上方落語会のスーパースターと呼ばれた人物です。
従来の古典落語にナンセンスなギャグを入れた大胆な芸風で、
爆笑王として人気を集めました。

1878年8月4日生まれ。出身地は大阪。
父は染皮細工を生業とし、主に煙草入れなどを製造していた人で、
桂春団治は4人兄弟の末っ子として生まれました。
出典:wikipedia

・実際の語りの音源

本名が藤吉!?

「わろてんか」では芸人を集める側の風鳥亭の席主(せきしゅ)が北村藤吉という名前でした。

ですから登場人物、団吾師匠のモデル「桂 春団治(かつら はるだんじ)」
の本名が「皮田藤吉」というのは驚きです。

(婿入りし、「岩井藤吉」という名前になりました。)

このつながりからして団吾師匠は今後の展開のキーとなる人物となる予感がします。

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エピソードが面白い!

大工仕事が得意で、弟子のために
自宅の2階を自分で増築したといわれています。すごいですね。

また「自宅から寄席まで特注の真っ赤な人力車で通った」とよく言われました。
これはドラマで実際の出来事として映像化されていますね。

借金漬けだったため、「赤い俥(くるま)=火の車」を掛けたといわれていますが、
これはただの噂の可能性が高く、先妻のトミや、当時の弟子、
女中までもがその伝説を否定していたそうです。

天満天神繁昌亭が開場した際、3代目春団治がこの「真っ赤な人力車」を発注して
実際に乗車した
というから、初代の伝説の影響は大きいですね。

吉本興業とのつながりとは(ネタばれ注意)

「わろてんか」の主人公である「北村てん(旧姓:藤岡てん)」のモデルは
吉本興業の創設者である「吉本せい」さんですが、
団吾師匠のモデルである桂春団治さんとはどのようなつながりなのでしょうか?

この件も調べてみました。

桂春団治さんの師匠・7代目桂文治(かつら ぶんじ)さんの引退興行のとき、
橘家圓蔵(たちばなや えんぞう)さんという落語家と大喧嘩をし、
それがきっかけで当時妻であった志う(じゅう)さんの莫大な資産を使って
浪花派(なにわは)という団体を作りました。

ところが、新勢力であった吉本興業の人気で事業は失敗となり、
借金を肩代わりするという約束でその吉本興業に移籍することとなりました。

面白いつながりですね!

わろてんかの団吾師匠のモデル まとめ

破天荒な人物としてドラマに登場した団吾師匠。
実際のエピソードのように風鳥亭のお抱え芸人となるのでしょうか?

これからどんな関わりになっていくか楽しみですね!

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