NHK連続テレビ小説「わろてんか」でミスリリコアンドシローという漫才コンビが登場します。
リリコは映画の女優という立場から転身して、
伊能栞から紹介のあったアコーディオン奏者、川上四郎と漫才コンビを組み、
主人公てんのプロデュースのもと漫才コンビとして売れるよう努力に励みます。
気になるのは彼らに実際のモデルがいたかです。
実際の人物がいたか調べていました。
目次
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モデルとなる人物とは?
調べてみたところ、なんと実在のモデルと思われる人物がいました。
その人物とは「ミスワカナ・玉松一郎」です。
ミスワカナはリリコのモデル。
玉松一郎は川上四郎のモデル。
ということになります。
出典:https://ja.wikipedia.org
写真を見ると、リリコと四郎のイメージそのものです。
ミスワカナという人物はなんと4人いて、初代から4代目までいます。
この漫才コンビのミスワカナは初代のミスワカナで、本名は川本杉子です。
安来節の山村出雲とういう人物にに12歳まで師事、
そして14歳で2代目河内家芳春(おそらく落語家)に入門という経歴。
幼いころから芸人の修行をしてきたところは、さすがリリコのモデルといったところです。
一方の玉松一郎は本名、河内山一二。
愛称を「たまいちさん」といい、
音楽家を目指して無声映画の伴奏をするオーケストラでチェリストやドラマーをしていたそうです。
最初はアコーディオンではなかったんですね。
なんと2人は夫婦だった コンビ結成の逸話がすごい
わろてんかと違うところは、2人は夫婦で、夫婦漫才としてデビューしたというところです。
その2人の馴れ初めがなんともすごい。
ワカナは大阪で一郎と出会い恋に落ちますが、
幼少期からいた許嫁(いいなずけ)と一度結婚するために郷里の鳥取まで戻り、子供までもうけています。
1928年のことです。
一郎もワカナとの交際を両親に反対され、仕事まで辞めさせられる始末。
ところがその翌年(1929年)、お互い芸人、ミュージシャンとして、活動をしていた2人は、
大阪でタバコを買いに行く途中でばったり再開してそのまま駆け落ちしてしまうのです。
そのまま汽車の中でコンビを結成。
玉松一郎という芸名は、出会った場所が「玉造」だったので
その「玉」と、一郎が当時住んでいた北区松ヶ枝町の「松」を取って命名されました。
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トレードマークのアコーディオンはいつから?
なんと四郎のモデルである、玉松一郎がアコーディオンを覚えたのはコンビ結成後だそうで、それまではチェロでやっていました。
チェロは大きい楽器です。当時、玉松一郎は腎臓が悪く、体調を崩しがちだったというから、
身軽で持ち運びやすい楽器を習得したかったのかもしれません。
吉本興業との関係は?
「わろてんか」の主人公である「北村てん(旧姓:藤岡てん)」のモデルは吉本興業の創設者である「吉本せい」さんですが、
ミスリリコアンドシローのモデルである「ミスワカナ・玉松一郎」と吉本興業とは、どのような関係なのでしょうか?
この件も調べてみました。
1937年3月に、風太のモデルである林正之助が広島の呉にいたワカナと一郎を誘い吉本興業へ入社させ、コンビ名をミスワカナ・玉松一郎としました。
それ以降、寄席やラジオ出演やレコード録音を盛んに行ったそうです。
わろてんかでは、ミスリリコアンドシローを売り出すことに関して渋っていた風太ですから、この事実は意外でした!
史実を知るとより面白いわろてんか
こうして調べてみると、お笑いの歴史の一部が垣間見えてとても面白いですね。
ミスリリコアンドシローのこれからもドラマではどうなるかとても楽しみです。
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